19世紀のヨーロッパは、イギリスの産業革命とフランス革命の影響のもと、産業構造や社会構造が大きく変化し、東西文化が著しく交流した時代であった。交通の発達によって商品流通も活発になり世界各地の物産品が、ヨーロッパ各地に広がっていった。それらの物産を紹介する見本市や博覧会が大都市を中心に開催され、多くの人々が珍しい商品に憧れたものである。
人形の世界においても、子供たちを魅了する人形が、それらの博覧会などで大きく紹介されていた。特に流行のファッションを身に纏ったパリジェンヌと呼ばれた人形は、華やかなパリの空気を伝える美しい存在として婦女子の憧れの存在であった。19世紀以前の人形は、殆どが大人の姿態をもっていたが、日本人形などの影響もあり、子供の姿態をしたべべ・タイプの人形が誕生したのも19世紀半ばであった。
子供の姿態をしたべべ・タイプの人形の誕生は、その頃から意識が強くなってきた子供の世界を具現化するものの一つとして、色々な形や工夫をこらされ、表情豊かに子供たちを楽しませるものとなっていった。現代の人形の世界もこれらの時代を背景に発達してきたものである。
さて19世紀には、以前の貴族や富裕な人々を対象に作られてきた美術工芸品も、豊かに成り始めた階級にも広げようと努力され大量生産されてきた。人形も博覧会などで大きく紹介され発達してきたのだが、そこで開かれた商品コンテストで賞をとることは、生産者にとって大きな誇りであり、手に入れようとする人々にとっても良質で流行を知るに大きな参考になるものであった。いわゆるブランドの誕生である。
一時的に開催される博覧会などは、新しい流行を伝え、発表する場所として生産者の名を高めステイタスを築くには格好の機会であった。そこで人気を得た人形工房は、新しく都市開発が進む今日も流行の中心地になっているパリのリボリ通りやアーケイドに、常設のブッティックを開店し販売に努力していった。各ブッティックは、人形に新しく美しい工夫を生かし腕を競っていった。また総合的にあらゆる産物を販売する百貨店も、この頃誕生してきたのである。プランタンやボン・マルシェの大型デパートは、有名工房と提携しオリジナル・ブランドとして販売を始めたのである。人形だけでなくあらゆる商品が、ブランドの名の下、流行を知る上で最も影響力のある存在として、購買層の意識を高めたのもこの頃からであった。
パリを中心に新しく築き始められてきた人形文化は、今日の人形にも大きく影響を与えているのは確かである。博覧会などで多くの金メダルを獲得して有名になっていったジュモー、ブリュ、スタイナーをはじめ各人形工房は、ヨーロッパから離れたアメリカやオーストラリアなどにも最新の人形文化を伝えるものとして紹介されている。特にパリを中心とした人形工房が生み出す人形たちは、子供たちの憧れの的で、クリスマス・シーズンなどは大きな賑わいの中心になっていった。
人形を含む玩具の世界も、最新の技術が生かされているのは現代でも同じであるが、特に新しく発明されたり、珍しく紹介された風俗などは、即時に人形の世界に誕生している。
大都会として成立し始めた花の都パリやロンドンには、多くの人々が集まり、それらの 人々を目論んで道化師や曲芸師などが劇場やサーカス興業で、子供たちだけでなく、新しい風俗を生み出し、印刷物や立体的な人形・玩具によって世界各地に流行を伝えていった。最新の技術が生かされたオートマタもその典型的なものの一つである。滑稽で面白味のある道化師の動きは、産業革命によって大量生産化された金属部品と機械技術によって可能になった。人形がそれまで流行のファッションを伝えるだけでなく、最新の技術とアイデアが生かされたものとなっていった。個人的に婦女子が愛玩していた人形が、動きを与えられることによって、デパートや店舗のウィンドー・ディスプレイとしての役割も与えられたのである。
今日多くの種類の人形が存在しているが、殆どの人形の基礎は19世紀になって誕生してきたと言っても過言ではない。19世紀の人形の世界は、文化交流と技術の発達によって大きく発展し、西洋人形の黄金時代と呼ばれるものである。
人形は、一般的に愛玩具として認識されるが、歴史風俗を知るうえで、当時の人々の生活や憧憬を垣間見ることの出来る大きな存在である。
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